「古代懐疑主義入門」読了

判断保留の十の方式と言ってもさほど難しいことは書かれていなかったと思う。これは下に書いている関係というものにあてはまる。この本を読む前にピュロンが懐疑で崖から落ちて死んだという言い伝え?をネットで目にしていたので、懐疑主義を憎むようになっていた。

懐疑主義の本質は全てを受け入れる事にあるようである。葉っぱが緑色に見えるのは、だたの現れであり、葉っぱ自体が本当はどのようなものであるかは語ることができない。現れというのは全てが相対的である。現れは関係においていかようにも変化する。そために判断を保留せざるおえないという。懐疑主義者はもともと物事の真か偽かを判定して無動揺となることを目指していたが、上にあげたような反目に陥り、その判定をくだすことができず判断を保留したという。ところが判断を保留した結果偶然、思いなされる事柄における無動揺に到達した。(セレンディピティ)

この本を読んで懐疑主義者の誤解が少しは解けたかもしれない。

思いなし→近親相姦の例が分かりやすかった。近親相姦は日本人にとっては悪いものとして現れるのだろうけど、実際にそれが本当に悪いことなのかはわからない。このために懐疑主義者は顔をしかめつつも、心の中では無動揺でありつづけようとするだろう。

ピュロンはどうも無動揺を目指していたようだが、自分らからすればたしかに つまらぬ状態であると思ってしまう。しかも本当に無動揺を目指していたのかもわからない。

実際古代懐疑主義達が何を目指していたかどうかはこの本を読んでも推測することしかできないけど、ドグマティストの思い上がりを思い込みを解消してやるという役割は確かに果たしていたかもしれない。そしてこのドグマティストというのは自分の心の中に存在する。だから、自分にとっては必要以上に考え過ぎているときの抑止力として役立つかもしれない。そういうのは科学的懐疑主義とか言われているようだが。

昔の人も現れに影響されることを嫌ったはずだから、古代懐疑を科学懐疑に変えればきっと人生の役に立つ。そう信じたい。

この本は人にすすめることができない。自分もそうだけど、懐疑主義が病気のように現れてしまうことがある。考える事をやめて無感覚になる恐れがあるからである。古代の連中はそうはではなかったらしい。いずれにせよ、懐疑を知らなくてもおそらくは生きていけるだろう。しかもたぶん読んでたらイライラすると思う。話は理解できてもやはり古代の連中の考えには共感できない。

「コケの自然誌」読了。

最近自分は観葉植物を買った。室内用の観葉植物として買ったのはサンスベリアという植物でした。一応購入してから土と植木鉢を購入してからサンスベリアをそちらに植え替えました。これは最近の出来事で自然に興味が出てくるようになっていました。

それからたまに本屋によるのでだいたい哲学系のコーナーか生物学のコーナーを巡回するのですが、そんな時にこの本と出合いました。実を言うとコケに少し興味がでてくるようになっていました。コケを買いたいなと思っていたのでこの本を買う事にしました。

この本はコケの飼育方法などが載っているわけではありません。なんといいますかコケから生き方を学ぶような内容になっています。様々なコケの事が書かれています。コケは水から得ためぐみを他者に還元しているのだと言います。人は何かを奪うだけで自然になにか還元しているのか?自然への感謝を忘れてしまっていないかと言われている印象でした。

簡単に言ってますがこの本はもっと歴史的な面からもコケと人間の在り方がかかれていますし、非常に興味深い内容だったと思います。

実を言うとコケを拾ってきて植木鉢においてみたのですが、それからというものコケは全く元気がありません。お椀に水をためてそこにコケを浸してみたら少しだけ元気がよくなりましたが、自分にはそれが生きているの死んでいるのかもわかりません。そして、この拾ってきたコケの名前すらも知りません。筆者によると名前を知っていることが非常に自分の力になるそうです。この本にはアミニズム的な精神が散りばめられています。

コケは根をもたないらしく仮根というものがあるらしいんですが基本的には葉から水分を吸収するのだそうです。コケは死んでも、環境さえあればまた蘇る。最後までよくわからない不思議な植物でした。この本読んでもコケの飼い方については深く知ることはできませんが、コケから人が学ぶべき点が書いてあります。

しかし、拾ってきたコケが蘇ってほしい願いがありますが、おそらく蘇らないのでしょう。コケは取るのは簡単だが自生するまでにかなりの時間がかかるらしいのです。そしてコケをとってくれば生態系が崩れるとの事です。コケは様々な生き物が生きる上で欠かせない存在ですと説いています。自分がひとつまみ取ってきたコケがありますが、そこには数えられないほどの命の繋がりがあるのかもしれません。もうコケを取るのはやめようと思いました。

当たり前かもしれませんが、この取ってきたコケからなにか新しい胞子がでてきても植木鉢の土にコケが新たに生まれてくることはないでしょう。コケが元々いる場所との環境の差があまりにも違いすぎる。植物を飼うということはその植物の本質を失うことだと筆者は説きます。

自分も観葉植物を飼いはじめた以上はこのことは肝に銘じておこうと思います。